あなたへ

僕が初めてあなたの姿を目にしたのは、昨年九月の上旬だったと記憶している。ああ、また新たな患者が入院してきたのか、そんな印象だった。あなたが入院した当初、誰とも口を聞いているのを見かけたことが無かったので、精神科思春期病棟の良くも悪くも騒がしいこの雰囲気に馴染めないタイプだろう、接点を持つことも無いだろう、そう思っていた。実際、思春期病棟と言えど、短期間の入院で誰とも言葉を交わさずに退院する患者は数多く居る。彼らは他者との交流を拒み、病室に篭って過ごしている。もしかしたら彼らも本心だと、同年代の子供達と関わりたいのかもしれない。しかし、入院してしばらくしても誰とも接点を持てずに過ごすと、孤立してしまう。なので、当初は、僕が病室の外であなたを見かけても、自ら話しかけはしなかったし、あなたも僕に話しかけなかった。だが、金曜の午前、僕が散歩から病棟に戻ると、あなたは僕の友達と仲睦まじくなっていた。その友達を、ここでは以後Yと呼ぶことにする。その日の昼、僕は良い意味で期待を裏切られる。

まずはYについて軽く触れておく。僕が入院してまず親しくなったのがYだった。僕が誰からも話しかけられることなくホールのテレビを眺めていると、彼が話しかけてきた。彼が赤髪だったので、俗に言う陽キャだろうと思い、僕とは違う属性の人間であろうと判断した矢先に、将棋の話になった。いざ指すと、僕が勝ったが、大した棋力差は無いように感じた。そして彼が僕に向かって「IQが高そう」と告げてきたので僕は具体的な数値を話すと、驚いた様子を見せた。彼自身もIQを測ったことがあるようで、大雑把な数値を教えてくれた。それから意気投合して、彼は、僕より一学年上の浪人生で、東大に入って将来芸人になりたいと話してくれた。八月の頭だった。

そして、Yとは毎日のようにクイズや数学の話をしたり、かなり懇意になった矢先に現れたのがあなただった。

Yがあなたの理知的なオーラを感じ取ったらしく、彼からあなたに話しかけたのだと後に聞いた。

あなたは、Yから僕のエピソードを聞き格が違うと感じたが、いざ話してみると案外明らかやばいというわけでは無く安心した、と、僕の誕生日の際に書いた手紙で教えてくれた。ありがとう。嬉しかった。

少し脱線したが、その金曜の昼から、あなたとYと僕の三人で行動を共にすることになった。

以前からYと僕は二人で、話の合う女の子が入院してくれたら嬉しいなあ、などと常々言っていたので、Yも僕も大喜びだった。三人ともお互いを“君”と呼び色気もクソも無かったが、入院生活が急に楽しくなった。

主に三人の共通項は「シリアルキラー」「知能指数」「クイズ」「文学」などと多岐に渡って、あなたとYのおかげで非常に充実した会話が出来て、生活が豊かになった。

三人で芸人になろうという非現実的な話が出たのはいつ頃だっただろう。僕とYの誕生日(それぞれ十月十日と十月十三日)を迎える頃には既に将来を話していた。あなたが東京藝大、Yが東大理III、僕が東大文系を各々が中退してトリオを組むという、何とも突飛な話だった。そのおかげで僕は少しずつ英単語を覚えるようになったし、あなたもYも勉強し始めて、これほど充実した毎日が精神病院で送れるとは嘘のようだと思った。

程なくして三人は退院した。

丁度その頃から僕の勉強が上手くいかず、夢を諦めたくなった。するとどうやらあなたも勉強が思うようにいかなかったようで、三人のグループで、芸人計画を降りる、短い夢を見させてくれてありがとう、と言い残してグループを抜けた。

それが退院して少し経った頃だったので、十一月の下旬だろうか。結局Yの説得が功を奏してあなたはグループに戻ってきたものの、相変わらず精神は不安定だったように見えた。

最後に会ったのがいつだろうか。もうトーク履歴も消えてしまって正確な日付は分からないが、十一月の終わり頃だと思う。

三人で桜木町に集合して、中華街を散策し、海の方まで行った。夕方頃に、僕が別の友達と会ってくると言って去ったのが最後だった。もう二度と会えないとは思わなかった。

後から聞いた話によると、あなたとYは桜木町の辺りを散策して、Yが「これが最後にならないようにな」と念を押したらしい。だが、その言葉が現実となってしまった。

僕はあなたが精神不安定で希死念慮が高かったのを知っていたにもかかわらず、病棟で知り合った別の友達と会うために一人先に抜けたことを後悔した。まさか三人で摂った最後の食事がラーメン二郎関内店なんて、ネタにすら出来ないでは無いか。

その十日後くらいか、あなたは大量に市販薬を飲んだ報告をTwitterでしてから音信不通になった。

当初は入院しているのかと思ったが、入院中の患者に訊ねてもあなたはいなかったし、別の病院にしては長過ぎたと感じた。近くの病院に搬送されたら、すぐに元の病院に転院するのが一般的だからである。

これは何かが起きたのだと感じ、あなたの家へ年賀状を出したら、あなたのお母様から返事が届いた。一月の中旬だった。

封を切り、覗き込むと、“永眠”の二文字が真っ先に目に入ってきた。十二月七日に天国へ旅立ったのか、一ヶ月以上も前に亡くなっていたのか、何故僕に何も言わずに勝手に逝ってしまったのか。

すぐにYに連絡を取り、電話をして、あなたが亡くなったことを告げた。「何もしてあげられなかったなあ」Yはそう言った。

それから僕の精神も不安定になり、入退院を二回した。

毎月七日になると、あなたを思い出す。あなたは罪深い。一ヶ月に一回も人を陰鬱な気分にさせるなんて。

僕がパチンカスになった姿を見せたかった、一緒に悪事を働きたかった、まだまだ話したいことが山ほどあった。後悔しても現実は変わらないが、後悔してもしきれない。

 

最後はフラットに綴る。

 

あなたにとっての最後の三ヶ月、一緒に居られて楽しかったよ。病院だと毎日朝から晩まで共に過ごしていたからご家族よりも近くに居たんじゃないかな。充実した毎日をくれてありがとう。今でも大好きだよ。安らかに眠ってくれ。